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偉大な冒険飛行/世界一周

大西洋横断飛行と並んで、地球上のあらゆるコースが開拓されていった。しかし、リンドバーグのようにものすごく人気者になる事はまれで、ほとんどは地味に終わってしまったりしている。
1919年11月12日、ロス・スミス、キース・スミスら4人のオーストラリア人はビッカース・ビミー機でロンドンのハウンスロー・ヒース飛行場を出発し1,700km以上離れたオーストラリアを目指した。途中の着陸地はまともな飛行場としての設備などが少なく、コースの大半が近東、インド、東南アジアなど未開の地域で、泥地で車輪をとられたり、悪戦苦闘しながら、27日と20時間後、ようやく目的地のポートダーウィンに到着した。
1920年イタリアのローマから東京を目指したイタリア空軍の計画はカプロニ複葉三発機3機とSVA9型偵察機5機、乗員16名という雄大なものであったが、出発は何故か1機、1機とバラバラで、次々と遭難したりして、結局、日本に到着したのはアルツロ・フェラリン中尉とマシェロ中尉のSVAの2機だけであった。しかもローマを出発したのが2月14日で、途中、16箇所に着陸して、ようやく5月31日に東京に到着した。107日間、飛行時間は950時間というものだった。
初めて飛行機で世界一周を行なって成功したのは、アメリカ陸軍航空隊の企画で、1924年4月6日、フレデリック・マーチン少佐指揮する4機のダグラス・ワールドクルーザー水陸交替機はアメリカ西海岸のシアトルを出発し、コースや着陸地の状態などに応じて、フロートを付けて水上機としたり、車輪を付けて陸上機としたりしながら飛行を続けた。途中、アリューシャン列島で指揮官機が遭難したので、以降はローウェル・スミス中尉が指揮をとり、残る3機は悪天候などと闘いながら5月22日、日本の霞ヶ浦に到着した。6月1日に霞ヶ浦を出発、南回りコースでヨーロッパに到着し、スコットランドからアイスランドに向かう途中にまた1機が遭難したので、新しい1機を補充してから、アイスランド、グリーンランド、カナダ経由で9月28日に出発点のシアトルに帰還した。全行程44,333km、所要日数176日、全飛行時間371時間7分の大飛行だった。
その後、多くの飛行家によって世界一周飛行が行なわれたが、1931年6月23日〜7月1日、アメリカのワイリー・ポストと航空士ハロルド・ゲティはロッキード・ヴェガ「ウィニー・メイ」号により、8日間15時間51分で世界一周飛行を行ない、早回りの記録を樹立した。1933年7月15日〜22日には、ワイリー・ポストは自動操縦装置付きのロッキード・ヴェガ機を単独で操縦してニューヨークを出発、ベルリン、モスクワ、イルクーツク、アラスカ経由の約25,000kmを7日間18時間49分で飛行し、記録を更新した。

SVA9型偵察機

ダグラス・ワールドクルーザー水陸交替機

「ウィニー・メイ」号
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