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偉大な冒険飛行/大平洋

大西洋に比べて大平洋は飛行機にとっては難関だった。北緯45度の線に沿って距離を測ると、大西洋はカナダのノバスコシヤからフランス西海岸まで約4,700kmなのに対して、大平洋は北海道東海岸からアメリカ西海岸まで約7,000kmもあり、実に1.5倍近く遠い。これだけ遠いと、天候の変化なども考えると、かなり難しいルートだった。
この大平洋に初めて挑戦したのは、アメリカ陸軍のレスター・メートランド、アルバート・ヘーゲンバーガー両中尉で、1927年6月28日、フォッカーF7-3m三発機(目的地がハワイなので「パラダイスの島」号と名付けられた)により、オークランドを出発、3,890kmを25時間50分で飛行してホノルルに到着した。距離的にはそんなに大した事がないが、逆風となる西向きコースで、幼稚な航法だけが頼りに飛行したので、高く評価された。
続いて、1928年5月31日に、オーストラリアのチャールズ・キングスフォード・スミスは、アメリカ〜オーストラリア間12,000kmに及ぶ飛行計画を立て、前年のアメリカ陸軍と同じフォッカーF7-3m機「サザン・クロス(南十字星)」号により、仲間のC・T・ウルムにアメリカ人の航空士、無線通信士の合計4人で、オークランドを出発した。27時間25分でホノルルに到着し、一旦カウアイ島に移動してから、フィジー島まで5,050kmを34時間23分で飛行し、更に3,000kmを飛行し、6月9日にオーストラリアのブリスベーンに到着し、翌10日にシドニーに到着した。これにより、3回の連続洋上飛行で大平洋横断飛行が完成した。実にアルコック&ブラウンが大西洋を横断してから9年後の事である。キングスフォード・スミスは更に1928年9月から10月にかけて初めてタスマン海峡を横断してオーストラリア〜ニュージーランド往復飛行。1930年6月にはアイルランドからニューファウンドランド経由でニューヨークまで北大西洋横断飛行を行なうなど、次々に活躍した。更に、数々の長距離飛行で老朽化してきた「サザンクロス」号の後継機として、ロッキード・アルテア機を購入、「レディ・サザンクロス」号と命名して1934年10月20日〜11月3日に1928年の大平洋横断飛行と全く逆向きのコースに挑戦して成功した。しかし、1935年11月8日、イギリス〜オーストラリア間飛行の記録更新に挑戦中、ベンガル湾上で消息不明になってしまった。1年後に「レディ・サザンクロス」号のものと思われる車輪がビルマの海岸に漂着したという。
日本〜アメリカ西海岸間の北大平洋横断は無着陸で飛行するとなると8,000km以上の航続距離が必要となるので、最難関のコースだった。1930年以来、アメリカチームの三組が青森県淋代海岸を出発点として挑戦したが、いずれも失敗に終わってしまっていが、1931年10月4日に淋代を離陸したアメリカのクライド・パングボーンとヒュー・ハーンドンのベランカ機「ミス・ビードル」号が7,847kmを41時間31分で飛行し、10月6日ワシントン州のウェナッチに到着した。ベランカ機は重量軽減と抵抗軽減の為、離陸後車輪を投下するという大胆な手段をとり、ウェナッチには胴体着陸して、その際、プロペラが破損した。ウェナッチも淋代もリンゴの名産地で出発の時に機上に積まれたリンゴが縁でその後、2つの地方間で交流が行なわれている。

「サザンクロス」号(レプリカ)

「ミス・ビードル」号
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