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ボワザン兄弟(ボアザン兄弟)

兄ガブリエル、弟シャルルのボワザン兄弟はヨーロッパでまだ飛行機が飛行していない1905年、パリのビランクール(ブローニュの森の南)に世界最初の飛行機製作工場を開いた。幼少の頃、父親を亡くした兄弟は母方の祖父シャルル・フォレスティエの下で育てられた。兄弟の育ったリヨン近郊、ソーヌ河畔ヌーヴィル・ソーヌは風の強い所で、兄弟は子供の頃に凧を作って遊んだ。しかし、祖父の指導は徹底的で、形状、骨組み、紙の張り方、すべてにおいて緻密な設計と正確な工作を要求し、妥協を許さなかった。兄弟は1896年〜97年ごろから、ローレンス・ハーグレーブが1893年に発明した箱型凧の研究をはじめた。1899年、祖父が他界し、兄弟は遺産の一部を手にする。
1899年兄弟は人が乗れる大きさの翼巾4.5mのグライダーを製作する。当初、ガブリエルが乗ってみたが、一向に飛びそうになかった。しかし、弟のシャルルが湿気で翼が撓んでキャンバーがついたようになっているのに気がつき、バケツに水をくんできて翼にかけてみたら見事に成功した。(後には糊を塗るようになる。布目をつぶして空気が漏れるのを防いだ。)兄弟はそのグライダーで体重移動による姿勢の変化でグライダーを操縦する技術の研究を行った。しかし、兄弟の住んでいたリヨン近郊のシャンパーニュ平野はグライダーの滑空試験をするための適当な砂丘がなく、滑空実験は断念した。後に兄弟が1907年、ボワザン複葉機を製作する時にノルマンディ海岸のル・トゥーケでハンググライダーの実験を試みて、成果をあげている。ライト兄弟が郷里から1,000kmも離れた僻地まで通って実験した事に比べると狭いヨーロッパで、もう少し頑張ればライト兄弟以前にヨーロッパで飛行機が飛んでいたかも知れない。その当りにお金持ちの緩さが感じられる。
1905年6月8日、金持ちで飛行機好きのアルシュデックの注文でフロートをつけた水上グライダーをセーヌ河に浮かべてモーターボートで曳航する実験を行い、150mの飛行に成功した。同じ頃にルイ・ブレリオの注文で製作した機体は離水に失敗して川に突っ込んでしまった。1907年3月30日、ドラグランジュの注文で製作したボワザン・ドラグランジュ1型機は、シャルルの操縦で6秒間、60mのジャンプに成功し、11月5日には40秒間、500mの飛行に成功して、ヨーロッパ2番目の成功となる。
1909年にはボワザン標準型が完成した。主翼も尾翼も箱型で、前翼式の昇降舵を持ち、補助翼がなく、安定した旋回はできなかったが、逆に安定性はバツグンだったので「安心して乗れる」という事で、初期の航空機のベストセラーとなった。当時の1機あたりの価格は15,000フラン、中級のサラリーマンの月給が150フランだったから、現在の価格では5000万円くらいの価値だったそうだ。

ボワザン複葉機(標準型)
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