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ブレリオ

ルイ・ブレリオ(1872年7月1日北フランスのカンブレー生まれ)は自動車部品製造業をしていたが、1900年頃から飛行機に興味を持ちはじめ、羽ばたき機を作ったが失敗だった。ブレリオ2型はボワザン兄弟に作ってもらった水上グライダだったけど、これも1905年にセーヌ河で実験したけど大失敗で、パイロットのガブリエル・ボワザンは危うく溺死しそうになった。1906年に作ったブレリオ3型は正面から見てだ円形に丸めた環状の主翼と尾翼を持っていて、とても飛ぶようなモノではなかった。続く4型も失敗作に終る。次ぎの1907年の5型は単葉機にしてみたが、これも4回目の試験中に破壊してしまった。6型はルイ・ペイレに依頼して作ってもらった機体で、1907年の7〜8月にかけて200mほどの飛行には成功するようになった。しかし、彼の飛行機はどれも「思い付き」で作ったような機体で、前の失敗を次ぎに生かすという事もなく、次々と作られていったような感じだ。それでも、7型になって1907年末には距離500mくらいは飛行できるようになってきた。しかし、12月18日に墜落してしまった。1908年6月17日に初飛行した8型は8型bis、8型terと改良され、メートル単位からキロメートル単位まで飛行できるようになった。10月31日にはトオリ〜オートネーの間を往復28km程の野外飛行に成功した。当時の飛行機はいつ調子が悪くなるかわからない不安定な乗り物だったので、飛行場の周囲を飛ぶのが一般的だったので、野外を飛行するのはかなりの冒険であった。この年はアメリカからウィルバー・ライトが沈黙を破ってフランスにやってきて、ル・マンで公開飛行を行って、フランスの航空界にショックを与えた。
そして、1908年の12月の自動車および航空サロンにブレリオは3機の飛行機を出典した。9型は未完成品で、10型は失敗作だったが、11型は今迄の飛行機とは見違える程の優秀な飛行機だった。それもそのはずで、後にモラーヌ・ソルニエで有名になるレイモン・ソルニエに設計してもらった機体である。11型の初飛行は翌1909年の1月23日である。1909年7月13日にはブレリオはこの11型でエタンプからオルレアンまで40kmの野外飛行をして飛行クラブ賞をもらった。ブレリオ11型は最初はREPエンジンと4枚羽根の金属プロペラだったが、後に改良され、25〜30馬力のアンザニ・エンジンと効率の良い2枚羽根の木製プロペラになった。操縦装置はライト兄弟の飛行機から撓み翼方式を無断で取り入れた。主翼面積12平方m、翼幅7.2m、全長8m程の小型の機体で、自重はたったの200kgだった。
ブレリオの名声を一躍有名にしたのは初の英仏海峡横断飛行であった。ル・マンでのライト兄弟の活動のニュースに刺激されたロンドンの新聞デーリーメール紙のノースクリフ卿が初めて英仏海峡横断した者に1000ポンドの懸賞金をだした。しかし、距離的にはすでに、ウィルバー・ライトがフランスのオーブールで1908年12月31日に125.5kmの飛行に成功しているので、たかが40kmほどの英仏海峡横断飛行は当時の技術的にはさほど困難な飛行ではなかった。しかし、イギリス国民にしてみれば、今までナポレオンの侵略にも屈しなかった(越えられなかった)英仏海峡はいわば最後の砦のようなもので、それを飛行機が越えるという事は一つの重大な事件であった。
ブレリオは英仏海峡横断飛行に望んだ時、エタンプ〜オルレアンの野外飛行でエンジンガソリン漏れによる事故で火傷を負って、松葉杖をついていた。1回目の挑戦で失敗したラタムの代えの機体と同じ列車でブレリオ機が運ばれてきた。ブレリオのチームは、ブレリオと、商売の協力者ルブラン、エンジンの設計者のアンザニなどで、1909年、7月25日の朝、まっ先に起きたのはルプランだった。この天気なら飛べると判断したルブランはブレリオを叩き起こし、カレーのホテルからレ・バラクに駆け付けた。一度、15分ほどの試験飛行を済ませ、デイリー・メールの懸賞規定にある、「飛行は日の出と日没の間に行う」という規定を満たす為に、日の出を待った。午前4時35分、ブレリオが離陸した。海上にでると護衛の駆逐艦が見えたが、時速42kmで航行する駆逐艦を時速68kmで飛行するブレリオ機はすぐに追いこした。途中、エンジン全開による過熱で馬力が落ちたけど、突然の雨でエンジンが冷えて助かった。(専門家でも意見がわかれるようで、それは単なる伝説だという説もある。)午前5時13分、離陸から38分の飛行後、ブレリオはドーバーの古城の近く草地に着陸した。イギリスの新聞は「イギリスの孤立はこの時限りで終った」と報じた。
この成功でブレリオ11型機は大量の注文が殺到した。初期の航空史で数々の記録を残す機体になった。1910年9月23日、ペルー人のジュオ・シャベーツがアルプス横断飛行に挑戦した。惜しくも着陸地のドモドッソーラで疲労からか、着陸操作を誤り、墜落して翌日に死亡してしまった。1913年9月2日にはフランスのアドルフ・ペグーが世界初の背面飛行を行ったり、9月21日には初の宙返りを行った。また、彼は飛行機から初のパラシュート降下も行っている。その他、1910年1月4日はドラグランジュが世界初の空中分解による事故で死亡している…。

ブレリオ単葉機
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