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戦闘機の誕生

飛行機で相手の背後に回りこんで攻撃するにはひとつの問題があった。機首には回転するプロペラがあるので、どうしても前方を攻撃する場合に障害となる…。そこでフランス人のローラン・ギャロスはレイモン・ソルニエに協力を依頼して、プロペラ羽根の後ろに三角の鋼鉄の防弾金具を取り付けた。プロペラに当る弾丸をその金具ではじこうというちょっと大胆な発想だったが、1915年4月1日、モラーヌ・ソルニエL型高翼単葉機でドイツ偵察機を見事に撃墜する事に成功した。続く15日、18日にも1機づつ撃墜する事に成功したが、19日に出撃した際に、弾の衝撃でプロペラを破損してしまい、不時着してしまう。ギャロスはすぐに機体を焼き払おうとしたが、半焼しただけで、機体はドイツ軍に抑えらてしまって、捕虜になってしまった。ドイツ側はこの装置を真似した所、ドイツ機銃のニッケルクローム鋼被弾丸はプロペラ金具をあっさり貫通してしまし、プロペラを破壊してしまった。金具を厚くするのは遠心力の問題と衝撃の問題で不可能だった。フランスの様に銅被弾丸にしようかという意見は技術の敗退になるという理由で見送られた。そこで急遽注目されたのが、オランダ人のアントニ・フォッカーであった。
フォッカーの両親はオランダ植民地のジャバでコーヒー園を経営していて裕福だった。一家がオランダに帰国した時にはフォッカーは4才だった。フォッカーはあまり勉強が好きではないので、父親は何とかしようとフォッカーをドイツへ留学させる。留学先の自動車学校で飛行機操縦コースがあり、飛行機に魅了された彼は1912年、ベルリンに飛行機製造会社を設立する。工場はやがてシュウェリーン市に移転する。その頃、フランス人アドルフ・ペグーの宙返り飛行を見て感動したフォッカーはその時にペグーが使用していたモラーヌ・ソルニエH型機を1機購入して早速コピーさせた。これがフォッカーE1型の原型である。フォッカーはこの飛行機で1914年、ドイツ国防大臣フォン・ファルケンハイン将軍らの閲覧する中、自分で操縦して強烈なデモンストレーション飛行を行い、ある程度注文を得る事に成功した。そんな時に軍部からチャンスをもらう。捕獲したギャロスの装置に対抗できる手段を模索して欲しいと依頼を受ける。この絶好のチャンスに彼の行動が素早い。
1913年7月15日ドイツ特許276396号として公告されたスイス人フランツ・シュナイダーの特許は、エンジンのクランク軸と連動してプロペラ羽根が銃口の前にある時は引き金を引くのを止めるという画期的な機銃同調装置だった。フォッカーは恐らくその特許を知っていて無断で借用した。それはドイツ軍の担当者から依頼を受け、3日後には試作品を提出しているからだ。ドイツ軍部はその特許を知らなかったのか、知ってて黙認したのか、とりあえずその画期的な機銃同調装置を搭載したフォッカーE1型機が採用された。初めての迎撃だけを目的とした「戦闘機」の誕生である。フォッカーE1はモラーヌ・ソルニエH型のコピーで、エンジンのオーバーウルゼルもフランスのル・ローヌの回転式のコピーだった。しかし、構造はドイツらしく、鋼管溶接に布貼りという量産向きで頑丈な構造だった。E1は80馬力で力不足なので、すぐに改良型のE2(100馬力)となり、それを少し改良したE3型が最も多く生産された。

アントニー・フォッカー
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