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ヘリコプターの夜明け

1490年レオナルド・ダ・ビンチが出版した「アトランティック」では、各種の空飛ぶ機械の構想がスケッチ入りで紹介されていて、その中に、羽ばたき機などに混ざって1つだけ、ヘリコプターのルーツとなるスケッチがあった。しかし、ネジ型の回転翼をもつもので、原理的には欠点だらけでとても実用になるものではなかった。ヘリコプターのオモチャは中国で既に14世紀ごろに存在していたようで、大型の手回し式であったが、レオナルド・ダ・ビンチはゼンマイ仕掛けで設計した。
ヘリコプターは翼が回転する為に、そのトルクにより胴体が逆方向に回ってしまうので、何らかの方法でそのトルクを打ち消す必要がある。1754年ロシアの科学者ミハイル・ワシリエビッチ・ロモノソフは、互いに逆方向に回転する2組の回転翼を組み合わせた模型を作った。2つの反対方向のトルクで打ち消し合うという方式は初期のヘリコプターの基本形となった。
1907年11月13日フランスのポール・コルニュが設計したヘリコプターは、ルアーブル港に近いリシューでヘリコプター初の自由飛行に成功する。24馬力のエンジン1基で2つの回転翼をベルト駆動するようになっていて、回転翼の下に、流れの向きを変える板があり、その反動で前進するつもりだったが、浮かぶのがやっとで、高度30cm、滞空時間20秒というあっけないモノであったが、歴史的に大きな第一歩を印した。
ルイ・ブレゲーとシャルル・リシュ教授との共同製作によるヘリコプターも1907年9月29日に初飛行に成功してはいるが、ホバリング中に4人の地上作業員により機体の一部を支えて安定の手助けをしたという理由で、自由飛行とは認められず、一般的にはコルニュのヘリコプターを初のヘリコプターという事になる。
ヘリコプターが実用化される前に、オートジャイロというものが登場し、活躍した。形が似ている事から、混同されやすいが、原理的には別モノである。しかし、技術的にヘリコプターの発展に欠く事のできない貢献があるので、ここで触れておく事にする。スペインのドン・ファン・ド・ラ・シェルバは1919年ごろから、適当な角度で風を当てると自力で回転翼が回転して揚力を発生する事を発見し、研究実験を始める。最初に反転形式の双回転翼機を試みたが失敗に終わり、次ぎに普通の飛行機に単回転翼を取り付けてみた所、機体が前進すると今度は横転してしまった。翼が回転してるので、機体の前進方向へ回転している側の翼は揚力が大きくなるが、反対側の翼は揚力が少なくなるからで、試行錯誤の末、回転翼の付け根に翼が上下に自由に動くようにフラッピング・ヒンジを付けたら都合が良い事を発見した。1923年1月9日に初飛行したC.4型で一応オートジャイロとしての飛行に成功する。1924年5月のC.6Aで完成の域に達した。最初の実用型はC.19型で、1928年9月18日には回転翼機として初のドーバー海峡横断に成功した。
ヘリコプターとして、初の実用ヘリコプターと呼べるのは、ドイツのハインリッヒ・フォッケ博士のFw-61で2つの回転翼によりトルクを打ち消す方式を採用していた。1936年6月26日に25秒間浮揚して初飛行に成功した。1937年5月10日にはヘリコプターとして初のオートローテーション着陸に成功し、同年6月25日には高度2,439mまで上昇し1時間20分49秒の滞空記録も作った。翌26日には、直線距離16.4kmを含む周回距離80.6kmで、時速122.55km/hの記録も達成している。続くフォッケ・アハゲリスFa223は1940年6月12日に初飛行し、当時としては最大最強のヘリコプターで、1945年9月にはイギリス軍に捕獲された本機をイギリスまで空輸する為に、ドイツ人の操縦により、イギリスのヒューリー基地まで飛行し、ヘリコプターとして初のドーバー海峡横断機となった。
回転翼のトルクを打ち消す方法として、尾部にローターを用いる方法はソ連のユリエフや、オランダのバウムハウアーなどが提案していた。回転翼面を傾けて移動する方式を考案したのがイギリスのアスボートで、シェルバのフラッピング・ヒンジなど、既製の技術を集大成して完成させ、ヘリコプターを実用化させたのがイゴール・シコルスキーである。1909年、25馬力の動力のヘリコプターを試作したが、馬力不足で失敗したが、ロシア革命を逃れてアメリカに亡命し、1930年ごろからヘリコプターの開発を始め、1939年9月14日にVS-300の初飛行に成功する。その時はロープでつなげられたままの状態で、翌年の1940年5月13日には15分間の自由飛行に成功する。

コルニュのヘリコプター

Fw-61

Fa223ドラッヘ

シコルスキーVS-300
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