気球から飛行船へ
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気球から飛行船へ

モンゴルフィエ、シャルルの気球飛行の成功はフランス国外にも関心を広げ始めた。イタリアのミラノ近くでモンゴルフィエ式の気球が1784年2月にシェヴァリエ・パウロ・アンドレアニによって飛行した。オーストリアやスコットランド、アメリカなどでも同様の実験が行われた。しかし、水素の製造技術も改良されてくると、だんだんと熱気球の素早く充填できるという魅力も薄れてきた。紙とか布で作った熱気球は着陸の時に燃えてしまう事がおおく、あるいは殆ど焦げている事が多く、1回の飛行で使えなくなってしまう。しかし、水素気球はガスを放出してたたんでおくと再び使用できるという利点があった。性能的にも水素気球の方が優れていたのでその後は水素気球が主流を占めるようになる。
1785年1月7日、ジャン・ピエール・ブランジャールと彼のスポンサーの医学博士ジョン・ジェフリーズは水素気球で初めて英仏海峡横断飛行に成功した。途中、ガス漏れで高度が次第に低下し目的地までの2/3くらいの地点に到達した時には全てのバラストを投下してしまったので、更にオール、絹の装飾品、2個のイカリなどを捨てて、何とか再び気球を上昇させた。海岸線から内陸に19kmほど入った地点で再び高度を下げ始め、森の中に突入する危険が迫ってきたので、今度は朝食で充分にとった水分をまだ排出してないというジェフリーズの提案で、体内の水分を排泄する事にした。最後には着ている服なども全て投下して、ようやく気球は再びわずかに上昇した。何とか目的地に到達した時には温度計と気圧計、ブランデー1本に1束の手紙だけしかゴンドラには残されてなかったが、この手紙が最初の航空郵便となった。
一方フランスでは、ピラトール・ド・ロジェとジュール・ロマンは彼等が考案した新型の気球でフランスからイギリスへ向けての英仏海峡横断飛行に挑戦しようとしていた。水素気球と、高度調整用に熱気球をミックスしたもので、バラストを積む必要もなく、水素を放出する必要もなかった。しかし、可燃性の水素の隣で火を使うという方式は極めて危険だったが、フランスのプライドをかけて国王から飛行せよという命令を受けていたので、実行せざるを得なかった。1785年6月15日、彼等は英仏海峡横断飛行に向けて離陸した。しかし、1500mほど上昇した所で気球が爆発し、気球は墜落してしまった。ロジェは即死でロマンは最後に「おお、神よ…」と言って息絶えた。
1794年6月2日、気球が歴史上初めて戦争の道具として使用された。オランダとオーストリア軍に包囲されたフランスのモーブージュ市で、フランス軍は数百メートル上空に揚げられた気球から望遠鏡で敵軍のキャンプの模様を偵察した。
1859年アメリカのジョン・ワイズは気球による航空郵便を計画した。ワイズは上空の風はすべて西風だと思い込んでいたので、インディアナ州ラファイエットの町から東方の町に向けた郵便を積んで離陸したが、上空の風は彼の意に反して数時間かけて辿り着いたのは南方48kmの地点だった。1870年にはプロシア軍に包囲されたパリから郵便物などを乗せて脱出を計ったところ、これもまた上空の風が思うように吹かず、逆に敵陣に着陸してしまってみすみす捕虜になる事になってしまった。
このように、気球はどうしても風まかせなので、自由に思うまま大空を航行できる乗り物ではなかった。どうにかして、自由に操縦できないものか?。原理としてはプロペラを取り付けたらどうにかできるのではないかと考えられた。風に流されるのではなく、進行方向に進むので、空気抵抗の少ない流線形か、紡錘形の気球を制作し、プロペラなどを取り付けて推進しようという飛行船のコンセプトができあがる。しかし当時はまだ、それを駆動する為の小型で性能の良い発動機が発明されていなかった。それでも何とか飛行船に挑戦した先駆者の中で、一応、成功とされているのが、1852年のアンリ・ジファールである。
1850年ごろ、蒸気エンジンの設計技師だったジファールは、フランス人の時計製造業者が製造したゼンマイ動力の模型の飛行船に出会う。これに魅了されたジファールは蒸気エンジンを搭載した飛行船を飛ばせてみようと決心した。1852年9月24日、ジファールは全長44m、直径12m、石炭ガスを使用した気嚢の下のドンドラに乗り込んだ。ドンドラにはコークス230kgと160kgの彼の設計による3馬力の蒸気エンジンが搭載されていた。パリ〜トラップ間約27kmを平均時速6〜8km/hで飛行した。しかし、常に引火爆発する危険のある命がけの飛行で、しかも向い風に逆らって飛行できるほどの力はなく、飛行船がただちに実用化されるものではなかった。しかし、旋回飛行を行うなど、飛行船の可能性は充分に立証する事ができた。
1883年フランス人飛行家のガストンとアルベールのティサンディエ兄弟は電気動力の飛行船の実験を行ったが満足のいく成功はおさめる事ができなかった。1884年8月9日、フランス陸軍の軍人であるシャルル・ルナールとアルチュール・クレブスが電気モーターを使用した全長50.4m、直径8.4mの飛行船「ラ・フランス号」で、シャレー・ムードンで初飛行し7.6kmを23分で飛行した。
しかし、最初に実用的な飛行船を完成させて人気者になったのはパリ在住のブラジル人の富豪サントス・デュモンである。サントス・デュモンの項参照。

アンリ・ジファールの飛行船
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