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近代輸送機の夜明け

大洋横断などの冒険飛行や飛行艇による空路開拓の時代は華やかなニュースで賑わった反面で、航空技術的には低迷の時代だった。飛行艇が陸上機よりも活躍できた背景には、技術的にフラップが実用化にならなかったという大きな理由があった。飛行機は離着陸の際にはなるべく揚力を得る為に、主翼の面積は大きい方がよい。小さい主翼では、必要な揚力が発生する速度まで長い距離を滑走する必要があるし、着陸の場合では、その速度を消す為に長い距離が必要になり、それは用地の問題もあるし、危険でもあったので、当時の飛行機は大きな主翼を持っていた。ところが、大きな主翼は、飛行しているときには逆に空気抵抗が大きく、飛行機の高速化を妨げる原因となっていて、1920年代の飛行機は時速200km/h以下を低迷していた。フラップを採用すると、小さな面積の主翼でも、大きい揚力を発生する事ができるので、離着陸性能の改善だけでなく、高速化にとっても都合が良かった。1920年のデイトン・ライトRB-1レーサーはフラップを採用していたが、フラップ操作は人力では無理があり、成功しなかった。このRB-1は、離着陸の時に必要な脚も飛行中は空気抵抗になり、邪魔なものなので引込み式にしていたが、これも人力による操作では無理があった。
1930年代に入って油圧機器が発達してきて、飛行機にも応用できるようになり、楽にフラップや、引込み脚などが操作できるようになってきたので、フラップを採用する飛行機が登場しはじめ、1920年代には200km/hそこそこだった飛行機の速度は300km/h時代に突入した。プロペラの分野でも、低速〜高速、低空〜高空まで幅広い条件にも適応できる可変ピッチプロペラが実用化になり、構造の面では薄い金属外板を骨組に張り付ける全金属製応力外皮構造が実用化されたり、主翼や尾翼前縁に付けるゴムブーツ防氷装置の発明など、1930年代の中頃に近代的輸送機の基礎となる技術が出そろい、1933年初飛行のボーイング247(フラップなし)、1934年のダグラスDC-2、ロッキード・エレクトラ、1936年ダグラスDC-3など続々と近代輸送機のパイオニアが登場した。1938年には初めて与圧式客室を装備したボーイング307が初飛行した。戦後になって発動機がプロペラからジェットに変わる大きな技術革新があったけれども、それ以外のほとんどの技術はこの時代に基礎が築かれた。

ボーイング247

ロッキード・エレクトラ

ダグラスDC-3

ボーイング307
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