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日本の夜明け…

日本の航空史で最初に名前が登場するのは、「浮田幸吉」という人物。江戸時代にハンググライダーのようなものを制作して飛行したという事が記録に残っているらしい。鳩などを捕まえて重さと羽根の関係を調べて、人間もその比率に比例する大きさの羽根をつければ空を飛べる」と確信し、表具師としての技術を生かし、グライダーを制作し岡山の旭橋の上から飛び立ち、飛行したという。ある時、飛行に失敗し、河原で野宴中の人びとの中に落ちてしまったので、その騒ぎが元で幸吉は岡山を追放される事になったという。もし、本当の事ならばようやく気球が人間を乗せて飛行したわずか2年後、そして、ジョージ・ケイレー卿が世界最初のグライダーを飛ばしたと世界的に認められてる1849年より64年も早い1785年に日本人が空を飛んだ(正確には重航空機で)というのは驚きである。しかし、江戸時代は鎖国時代で、新しい変な事をすれば御法度として罰せられたので、岡山を追放されて静岡で歯科医として生活していたけども、飛行の夢が捨てきれず、再び飛行実験を行っていたら打ち首になってしまったという。世間の批判や、藩の追求を恐れて証拠など、記録はいっさい焼却してしまったとかで、航空史的には黙殺された形になってしまっているのが残念だ。
次ぎに名前のあがるのは「飛行神社」でも有名な二宮忠八「にのみや・かずはち」(1866〜1936)。子供のころ「凧はり忠八」とあだ名されるくらいの凧の名人だった忠八は、カラスが羽根をひろげて滑空している姿にヒントを得て、ゴム動力で飛行する模型「カラス型飛行器」を制作した。1891年4月29日、初飛行に成功する。それに気を良くした忠八は次に幅2mほどの「玉虫型飛行器」を1893年に完成し、飛行実験も成功する。日清戦争に従軍し、偵察機の必要を実感した忠八は、上官に設計図と上申書を提出したが、「外国に存在しないものが日本でできるハズがない」と却下されてしまう。自分の力で何とか飛行機を制作しようと、7年間かけて製薬会社で働いて、製作費の1万円を貯めたが、新聞記事で「ライト兄弟初飛行」を知り、ショックで飛行機の制作をあきらめてしまったという。その後、飛行機の発達に伴い、飛行機事故で亡くなる人の霊を弔おうと、1927年、自宅の庭に神社を建立した。1919年には陸軍の関係者らが、設計図がかなりのレベルに達していた事を認め、感謝状などを送っていたというから残念だ。もしかしたら日本が飛行機誕生の地だった可能性はゼロではなかった。神社の名前を考えたのは、かつての上司、長岡中将だという。
日本での飛行機の初飛行は1910年12月19日、東京の代々木練兵場で徳川好敏大尉がフランス製アンリ・ファルマン複葉機で飛行したのが最初である。それより前の同年12月14日に日野熊蔵大尉がドイツ製グラーデ単葉で飛行したが、いずれもジャンプ程度だった。16日にも飛行したが、高度36mまで上昇したが、すぐに着陸してしまい、正式な飛行とは認められなかった。一部では徳川大尉の方が家柄が良いからだという噂もあるようだけど、記録的には仕方のない事であった。12月19日、早朝に徳川大尉は離陸して、最高高度70m、時速53kmで距離約3km、飛行時間4分を飛んだ。同じ日に日野大尉はエンジンの不調に悩まされ、午後に飛行したが4気筒のうち1気筒が動かず、飛行高度45m、飛行時間1分20秒、距離約1kmという結果に終わった。

浮田幸吉の飛行風景…
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