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飛行船時代の終り

1920年代、飛行機による大陸間の冒険飛行が盛んに行われていた時代は、成功する確立も低く、「冒険」の域をでていなかった。1919年7月2日、イギリスのR34号硬式飛行船はスコットランドのイーストフォーチュンを出発して、飛行機では大敵だった西向コースを108時間かけて飛行してアメリカのロングアイランドに着陸した。帰路は追風に恵まれ75時間で大西洋を横断し、7月13日にイギリスに帰着した。飛行距離にして往路5787km、復路6138km、当時の飛行機では足下にも及ばない快挙であった。
ドイツの硬式飛行船LZ-127「グラーフ・ツェッペリン号」は、20名の乗客を乗せる事ができ、しかも、食堂、寝室、ロビーなども備えた、現在の旅客機のサービスでさえ及ばない贅沢な旅が楽しめた。1931年からは新たにLZ-129「ヒンデンブルク号」が建造され始めた。全長245m直径41mもある飛行船で、細身のグラーフに比較してずんぐりした外形をしているため、ガス容量の比がグラーフの2倍近くになった。航続距離は1万8000kmにも及んだ。乗客定員が50名となり、更に豪華になった。巡航速度は120〜140km/hと遅かったが、その程度の速度の方が空気抵抗が少なく、揚抗比が30ないし40と当時の輸送用飛行機の2倍以上で、それだけ燃費が良く、経済的に長距離を飛行する事ができた。1936年からはヒンデンブルク号はグラーフ・ツェッペリン号に代わってドイツ〜ブラジル路線に就航した。グラーフで1万km、ヒンデンブルク号で1万8000kmという航続距離は当時の飛行機では遥かに夢の性能だった。飛行機では振動はさけられないが、飛行船はとても静かで、離陸の時も、景色がだんだんと小さくなるのを見て、始めて離陸しているのに気がつくほどだったという。まさに快適な空の旅が約束されていた。

LZ-129「ヒンデンブルク号」
しかし、1937年5月6日、アメリカのレークハースト基地に着陸しようとしていたヒンデンブルク号が突然、謎の大爆発を起こしてしまった。乗員乗客97名のうち、62名は奇跡的に助かったが、乗員22人、乗客13人そして現場にいあわせた1人が命を落とした。この事故で死亡した13名の乗客は、航空史上最初で最後の「運賃を支払って飛行船に乗り、死亡した」乗客となってしまった。つまり、それまで飛行船は事故などで失われたものは軍用であった。爆発の原因は不明という事になっている。ヒンデンブルク号は当時、アメリカがナチス・ドイツに対してヘリウム・ガスの輸出を禁止していたので、燃え易い水素を使用していた。ヘリウム・ガスを使用していたら、あれほどの大爆発には至らずに犠牲者はもっと少なかったはずである。事故の原因が何であれ、炎に包まれて墜落するヒンデンブルク号の最後は衝撃的で、この事件をきっかけに、飛行船の時代は急速に終わりを告げる事になる。
爆発事故という劇的な事故があったけれども、アメリカがヘリウムを供給していれば?、あの事故がなければ?、飛行船の時代はずっと続いたのだろうか?という疑問がでてくる。飛行船の速度はほぼ、進歩の可能性がなく、飛行機の航続力が延び、搭載力も増大してくれば、やがて競争力はなくなったであろう。飛行船が唯一、飛行機に勝てるとすれば、優雅なサービスくらいである。となると競争相手は豪華客船になるが、今度は逆に、豪華客船には贅沢では負けてしまう…という事で、時代と共に消えてゆく運命にはあったようだ。しかも、悲しい事に第2次世界大戦がすぐそこまで足音をたてて迫っていた。すでに軍事的にも飛行船の利用価値はなくなりつつあった。

炎に包まれるヒンデンブルク号
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