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第一次世界大戦の飛行機

1911年、トルコとイタリアの戦争で飛行機が使われた。それ以前にアメリカ人パイロットのヘクター・ウォーデンが革命軍に対するメキシコ政府の作戦に参加したのが、一応初めて飛行機が戦争に使われたものらしい。イタリア軍による使用は組織的な正規軍による初めての使用という事になる。1914年7月28日に始った第一次世界大戦では本格的に飛行機が使われるようになるが、その当時の飛行機はライト兄弟が初めて飛んでから11年くらい、実質的には1909年ランス飛行大会で初期の飛行機が出そろってから5年くらいしか経っていないまだ未熟な時期だった。
1914年8月ドイツ軍のタウベ単葉機はタンネンブルクの戦いでロシア軍の移動を発見してドイツ側に勝利をもたらし、偵察機として飛行機が充分役に立つ事を立証した。そして、相手にとっては偵察機はとても邪魔な存在になった。何とか迎撃しようと、当初はピストルやライフルなでを使っていたが、やがて武装した偵察機が誕生した。しかし、機銃を搭載した所で、偵察機では限界があった。偵察機を改造するのではなく、初めから目的に合わせた飛行機が開発されるようになり、機種の分類がハッキリとしてきた。爆弾をより多く搭載して相手の陣地まで運べるように、機体を大型化した爆撃機、相手を撃墜する事だけが目的の戦闘機…など。
そして、構造としては、まだ飛行機が未知の分野でもあり、設計の難しい単葉機より、安心して設計ができる複葉機が主流になった。複葉機の方が小型で旋回半径も少なく、運動性が良いので、相手の背後に回り込むのに適していた。1913年にはドペルデュサン・レーサーがセミ・モノコックボディで時速200kmを突破していたが、戦時にそれを改良したりする事は技術的にもリスクが大きかった。それにまだ、その頃は速度が100〜150km/hそこそこの時代なので、性能的にもまだ複葉機で問題なかったので木製骨組布貼り方式の複葉機が主流だった。戦闘機としてはプロペラ回転面から発射できる機銃同調装置の発明が大きく貢献して当初はドイツ軍が有利に立つが、イギリスは推進式のプロペラを後ろに付けた戦闘機で対抗し、フランスは機銃を上翼にとりつけたりして対抗した。
外観的には地味だった機体の塗装は意外にも派手?なものになっていく。2色以上の縞によって、飛行機の外形が分離して見えるという事が発見され、ドイツとフランスでは熱心に研究された。一般には上面は緑や茶色などの濃淡、下面はベージュと薄青の濃淡が使われた。しかし、例外としてはリヒトフォーヘンの部隊など、敵に自分達の実力を誇示する為にわざと派手な色彩で塗装して、自分達の士気も高め、相手には恐怖を与えた例もある。
第一次世界大戦の主役はイギリス、フランス、ドイツ空軍で、それ以外の国ではあまり目立った飛行機は誕生しなかった。イギリス機ではブリストルF2B、S.E.5、キャメル、などが有名で、フランス機ではニューポール、スパッドなどが有名である。ドイツ機はフォッカーDr.1、D7、アルバトロスD3などが有名。また、戦闘機乗りでは撃墜数が多い者は「エース」として称えられた。イギリスのエースはエドワード・マノック(73機撃墜)が有名。フランスではフォンク(74機撃墜)、ギンヌメール(54機撃墜)、ナンジェッセ(45機撃墜)が有名。ドイツではリヒトホーヘン(80機撃墜)、ウーデット(62機撃墜)ベルケ(40機撃墜)が有名。
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