序 章

2007年09月29日、映画「クローズド・ノート」の舞台挨拶で沢尻エリカが記者の質問に「別に…」と発言して騒がれ、バッシングされる。当時、沢尻エリカの担当マネージャーだった川上アキラは仕事が暇になり、スターダストで新しく作るアイドルを任されることになる。
2007年末ごろに伊倉愛美、高井つき奈、和川未優、高城れに、弓川留奈の5人で宣材用の写真撮影が行われてホームページでアイドルユニットを結成するという予告が掲載された。
伊倉愛美は子役時代から活躍してて、和川未優は「MAGISTER NEGI MAGI 魔法先生ネギま!」に出演するなど女優として活動してた。高井つき奈は理事長のお気に入りで、初期のももクロが「和をモチーフ」にしてた理由も高井つき奈が日舞をやっているからだった。高城れには新人のマネージャー(山下優)が最初に連れてきた子だったので、自信をつけさせる為に採用されたという…。弓川留奈は両親との話し合いでモデルに専念するということでメンバーの入れ替えが行われ、いわゆる0期メンバーは実質的な活動をせずに終わる。
百田夏菜子と玉井詩織は共に11月に契約が切れてクビになる方のリストに名前があったが、特技がダンスという理由でピックアップされる。0期メンバーが宣材用の写真撮影をした時に2人も写真撮影をしていた。
2008年05月17日、高城れに、伊倉愛美、和川未優、高井つき奈、百田夏菜子、玉井詩織の5人で、川崎アゼリアでの「スターダスト芸能3部新人発掘オーディション」にて「あの空へ向かって」を初披露して、この日を「ももいろクローバー」の結成日とした。伊倉愛美と玉井詩織はPieceesのメンバーも兼任していて、この日もPieceesとして舞台に立つが、Pieceesの活動は実質この時だけであった。「あの空へ向かって」の歌詞はメンバーが作詞をして、グループ名の「ももいろクローバー」もメンバーで考えた候補の中から選ばれた。考案者は百田夏菜子の母親である。名前の意味は「ピュアな女の子が幸せを運びたい」という思いが込められている。
2008年07月06日。代々木公園けやき通りでももいろクローバー初の路上ライブが行われる。当時はお目当てのアーティストのライブ時間までの待ち時間に他のアーティスト等のライブを見るお客さんも多数いて、100人くらいの客が観覧していたという。08月09日の4回目の路上ライブで高井つき奈が脱退して藤白すみれが加入する。高井つき奈は名古屋から新幹線で通うのが負担になってきたので地元の名古屋のSKE48へ移籍する。09月06日の5回目の路上ライブはマイクが1本しかなく、しかも途中でクレームが入りマイクなしで続行する。この頃から代々木公演ではアンプの使用が規制され、路上ライブで出来なくなり、路上時代は幕を下ろすことになる。
2008年11月01日、有安杏果がキャロットからスターダストプロモーションに移籍、芸能8部に所属する。
2008年11月23日、2回目の飯田橋ラムラ無料ライブ(伊倉愛美は欠席)にて柏幸奈、早見あかり、佐々木彩夏が加入。ももクロ最大の9人体制になるが、12月29日のライブで伊倉愛美がももいろの里の姫だったことが判明し、和川未優、伊倉愛美、藤白すみれの3人がももいろの里を救うべく旅立つという設定で脱退することが発表される。この頃、玉井詩織も別のグループに移動する事が決まっていたが、川上アキラの構想ではももいろクローバーに玉井詩織が必要だと考えていたので、出来てきた新曲を聴かせて、玉井詩織が思惑通り泣いたので、それを材料に上司と交渉して玉井詩織をももクロに残す事に成功した。(玉井詩織が聴いた新曲は「オレンジノート」とされているが、作者のツキダタダシ氏がインタビューで「オレンジノート」は「行くぜっ!怪盗少女」の次ぎのシングル候補としてコンペに提出したと語っていることから、2008年末のこの時期にはまだこの世に存在していない曲である)。2009年03月09日には柏幸奈も脱退して5人体制になる。
スタダに移籍後2009年02月02日にPowerAgeに加入した有安杏果だったが、誕生日の03月15日に事務所に呼び出されてハッピーバースデーのサプライズ?と思っていたら、PowerAgeの解散を告げられる。
2009年05月02日ヤマダの大感謝祭!家電フェア2009&大処分蚤の市 in パシフィコ横浜にて07月22日に「ももいろパンチ」でCDデビューと全国ツアー「ヤマダ電機Presents〜ももいろクローバーJAPANツアー2009 ももいろTyphooooon!〜」が発表される。

この頃のももクロは、活動も、路上ライブが実質的に4回くらいでライブをする場所から探さなくてはならない状態で、メンバーの入れ替えもあり色々と試行錯誤してる感じがある。気になるのは玉井詩織はどのグループに移籍する予定だったのだろうか?という事だけど、公式ではそのことには触れられていないので謎である。まぁ、誰も興味を持たないことなのだろうけど…(^^; 
もし、伊倉愛美と同じクリミーパフェに移動する予定だったとしたら…スタダは当時、ももクロよりクリパを売り込もうとしてたのかも?と思ったりもするのだけど…。多分、当時は子役時代からのファンもいて、百田夏菜子よりも伊倉愛美の方が人気があったのではないだろうか?…。そう思うと玉井詩織の移動を阻止した川上アキラ氏の功績は大きい。その時の「新曲」は恐らく「オレンジノート」ではないが…。誰もその部分に疑問を抱かないようなので…「オレンジノートの謎」は迷宮入りだろう…。

芽生え

「はじめてのももクロ」で川上アキラ氏がメンバーにヴォーカルを求めていてメンバー追加することもあり得るという話しをしている場面があって、「物足りなさ」を感じていた川上氏がパフォーマンス向上のため、追加するメンバーとして、丁度PowerAgeが解散してフリーになっていた有安杏果に白羽の矢がたった。有安杏果はEXPGの特待生出身という事でダンスが出来る娘が入ってくるという事でメンバーも意識していた。元ももクロメンバーでトークイベントをした時に、早見あかりが「有安杏果の加入でももクロのダンスに対する意識が変わった」と語っていて、伊倉愛美も「それ以前はゆるゆるだったよね…」と語っている。
2009年07月26日石丸ソフトのスタ☆フェスvol.006のアンコールで、有安杏果が加入した。会場へは登場するまで秘密にするためにダンボール箱に入れられて台車で入った。当初の予定では「ももいろパンチ」発売後に加入する予定だったが、全91公演の予定が104公演に追加公演が決まり、CDの発売日も07月22日から08月05日に延期になったため、ヤマダ電機ツアーの途中で加入することになる。そのため、当初はその事を快く思わないファンから無視されたり、マネージャーの川上氏にファンが詰め寄って抗議したりすることもあった。加入した初めのうちは「ももいろパンチ」しか踊れなくて、他の曲の時はステージの横で手拍子をしていた有安杏果が、初めて朝から全部の曲に出られたのは2009年10月18日JAたかさきふれあいラビ市の時だった。
有安杏果の加入で、よりダンスパフォーマンスを重視した曲をする事になり、「words of the mind 〜brandnew journey〜」と「ツヨクツヨク」の2曲のカバー曲が選ばれた。words of the mindの売りのひとつが有安杏果のムーンウォークなので、マイケル・ジャクションへのオマージュで手袋を着用する。words of the mind初披露の前の08月02日ミハマニューポートリゾートで、アーリン・ジャクソンが有安杏果に手袋を渡す。前日の08月01日に早見あかりから重大発表があると告知があって、「脱退か?」と騒がれたけど、08月04日スタ☆フェス番外編vol.2にてwords of the mindの初披露があって、「ラップを始めました」というのが重大発表であった。この時が私立恵比寿中学の結成日でもある。
08月05日ヤマダ電機ツアーのLABI品川大井町店で、「ももいろパンチ」の発売日でオリコンデイリーランキング11位が発表された。
09月20日〜ももいろクローバーCHAMPION CARNIVAL AKBA 5DAYS〜2日目、2009オータムファッションショーにて新衣装がお披露目され、初めてメンバーがイメージ・カラーで色分けされた。最終日の09月25日の最終イベントにて秋葉原UDXシアターの172席の固定席が初めて満席になって、メンバー号泣(ファンも号泣)。
11月11日には〜いま会えるアイドルに毎日会える〜「はるえ商店」にて2ndシングル「未来へススメ!」のオリコンデイリー6位が発表された。有安杏果にとって、スターダストに移籍して加入したPowerAgeも途中加入のため、CDの録音に参加してなくて、「ももいろパンチ」もCDの録音に参加してないので、この「未来へススメ!」が自分にとっては初めてのCDデビューなんですと泣きながらお礼のコメントをした。
2010年03月03日にはユニバーサルからメジャーデビューシングル「行くぜっ!怪盗少女」発売決定を発表し、マスコミ関係者の前で公開調印式を行うが、条件のひとつの体重測定で高城れにが体重オーバーで次回までにクリアすることを条件に「仮調印」となる。05月05日「行くぜっ!怪盗少女」の発売日にはオリコンデイリー1位が発表された。
NHKの「MUSIC JAPAN」に出演して、それを見たHMV渋谷店の佐藤守道が「このジャンプがアイドル史を更新する」というパネルを作って展示する。それが話題となって徐々に人気が広まりつつあろうとしていた…。
2010年08月のTOKYO IDOL FESTIVAL 2010、アイドルユニットサマーフェスティバル2010への参加で他アイドル等と同じ舞台に立った。特にアイドルユニットサマーフェスティバル2010で、川上アキラ氏はスマイレージやSKE48に強い刺激を受けたという。

この頃のももいろクローバーは、まだまだ売れない時代で、握手会やツーショットのチェキ会などもやっていて、CD50枚購入でパジャマトークのDVDを特典に付けるとかCDを必死に売っていた時代。歌もアイドルだから口パクでもいいという考えで、「ももいろパンチ」のPVでは口パクというのを逆に強調するかのようにマイクの代わりにバナナを持たせたりしている。しかし、このままでは駄目だという意識を強く持つようになり、他アイドルを強く意識して「アイドル戦国時代」へと突入していく。ライバル意識の芽生えた時期である。

アイドル戦国時代

2010年08月23日、レコード会社をキングレコードへ移籍するということで、キングレコードへの嫁入りという設定でウェディングドレス姿で記者会見をひらく。
09月19日にはセカンドデビューツアー秋の陣〜天下を獲りにいくぜっ!!〜SEASON1〜をスタートさせる。
10月09日には日本テレビでアイドルを集めた「アイドルちん」が放送を開始する…。
11月16日の「ピンキージョーンズ」発売記念イベント「アイドル桶狭間池袋の陣〜いざサンシャイン〜」の告知USTで川上アキラ氏がファンの皆様は鎌倉時代の武士(モノノフ)なんです…(略)と呼び掛けたことでそれ以降に徐々に「ももクロのファン」の事を「モノノフ」と呼ぶようになる。しかし、この頃から徐々にももクロのライブはチケットが手に入りにくくなっていて、チケットも争奪戦になるというある意味ファン側からも戦国時代に突入していく…。11月23日の代々木公園野外ステージでのフリーライブでは、フリーという事もあるだろうけど、3000人近くが集まった。11月01日発売された12月24日開催のももクリのチケットは発売30分で完売している。


つづく(書き直しによる内容の変更などもあるかも知れませんm(_ _)m)

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